佐世保共済病院のサイトです。長崎県佐世保市中心に位置し長崎県北を診療圏とし病診連携と救急による地域貢献を目指した病院です。


 
 
 
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感作
2010/02/01

2010年1月13日佐世保も冠雪しました。その前週に所用で、JR大村線シーサイドライナーを利用し長崎に行きました。午後、佐世保駅を出発し、暖かい日差しに誘われ、ついつい眠ってしまいました。勿論、車窓の日よけは降ろしていました。大村湾に沿って景色のよいルートです。ふと、右頬(三叉神経第二枝領域)がピリピリするのに気づき眼が覚めました。日焼けです。日よけを越してきた日光が右頬にあたっていました。九州の日差しは一月でも強烈です。ハンカチで日よけを作りましたが、後の祭りです。周りの人は、うまく日を避けていたらしく、痛そうな人はいませんでした。私は長崎に着くまで、ちょっと日差しにあたると右頬がピリピリ痛く感じました。なるほど、これが日光による感作と自覚しました。
幸い、すぐに治りました。
(感作:感覚神経の感受性が高まって、刺激に対する反応性が増すこと。ここでは日光の刺激に対して反応性が増したものと考えられました。)
→【片頭痛 アロディニアへ】

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私の高山性頭痛
2010/03/01

私は、40歳を過ぎた頃、健康のため登山を始めました。当時は九州の九重山系の久住山、大船山、黒岳、中岳などに登り、ミヤマキリシマの咲く頃の平治岳、紅葉燃える大船山・御池などにいきました。前任地の北海道では、大雪山系の旭岳、トムラウシ山、白雲岳、北鎮岳に登り、最近は北アルプスに挑戦しています。

私が、登山による頭痛を始めて自覚したのは、北アルプス裏銀座の登山中です。三俣山荘で昼食をとり、鷲羽山への登りにかかったときでした。嘔気と頭痛、めまいに襲われました。その日は、朝5時に槍ヶ岳山荘を出発し、双六岳、三俣蓮華岳を経て疲れが出てきた頃です。出発から既に7時間半が過ぎ、天候も崩れ、登り坂でかなり疲れていたのかもしれません。きつい登り坂で、すこし前かがみにもなっていました。高山性頭痛と考えられました。2500mを超え、空気がうすくなり、血中の酸素濃度が少なくなったと考え、とりあえずゆっくり深呼吸を5-6回し、肺の隅々まで空気を送り込みました。すると、比較的楽になりました。気分的なものかもしれません。今は、2500m級の山で頭痛が襲ってきたときに、我流の治療方法として深呼吸を5-6回しています。深呼吸を多くしすぎると過換気症候群になってしまうので5-6回としています。高山病の第一選択薬・予防薬は、ダイモックスとされています。しかし、日本では、高山といっても3000m級ですから、日本の山での頭痛時の薬剤は、アセトアミノフェンやイブプロフェンがすすめられています。私個人にはロキソニンなどNSAIDsで効果があります。(→高山性頭痛)


盛夏 槍ヶ岳


中央:双六岳山頂から水晶岳、右が鷲羽岳(ここの登りで高山性頭痛が出現しました)。西の方から、暗雲が立ちこみ、天候が一気に崩れました。

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私と登山 1 ~ダイアモックス失敗談
2011/07/01

以前、【私の高山性頭痛】というタイトルで高山性頭痛を紹介しました。私の失敗談があります。私が高山性頭痛を経験した前々日のエピソードで、ダイアモックスというお薬の話です。

当時(2008年7月)、私は大雪山系(旭岳やトムラウシ山など)に何度も登ったことはありましたが、3000mを超える北アルプスの山々は登ったことはありませんでした。そこで高山病対策を練りました。第一に、高地順応のために、上高地から入り、標高約1500mの横尾山荘で一泊し、第二に高山病の予防薬としてダイアモックスを準備しました。高山病の治療薬はダイアモックスで、予防効果もあると本で読んだからです。

上高地から梓川、穂高など眺めながら、ゆっくり歩き3時間ほどで横尾山荘に到着しました。横尾山荘は、改築されたばかりで、お風呂もあり快適な山荘です。夕食が終わると翌日に備え、高山病の予防薬としてダイアモックスを20時に内服し床に入りました。大失敗でした。ダイアモックスは、利尿剤です。トイレが近くなって、30分毎にトイレに行く羽目になり、同室の方の迷惑をかけてしまいました。午前1時過ぎにやっと眠れました。

翌朝は5時に横尾山荘を出発、槍ヶ岳を目指しました。高山植物のハクサンイチゲやシナノキンバイを愛でながら、雪渓からの心地よい冷たい風に吹かれながら、昨夜のことを考えました。

そもそも、どうしてダイアモックスが高山病の第一選択の治療薬なのか?から、考え始めました。

ダイアモックスは、炭酸利尿剤で特殊な利尿剤です。高山病に利尿剤が効果あるのなら、もっと単純な利尿剤でよいはずです。利尿効果に加え、別の作用が重要なのではないか?

高山病とは、高度が増すと空気中の酸素濃度が低くなり、血中の酸素濃度が低くなるために、脳や肺に異常をきたす疾患です。低酸素を改善する目的の薬剤ではないか?

槍ヶ岳への坂道でこんなことを考えながら歩いていました。ダイアモックス! この薬剤は、脳神経外科医は検査でよく使用しています。局所脳血流量検査の血管拡張負荷の薬剤として用いています。機序はよくわかっていませんが、代謝性アシドーシスを惹起し脳血管を拡張させる薬剤。そこまで考え、アッと我にかえりました。代謝性アシドーシスは代償性に呼吸性アルカローシスを引き起こす→過換気を引き起こす、つまり強引に呼吸回数を増やすということです。強引に呼吸回数を増やして低酸素状態を改善させようとする方法ではないか。であれば、この薬剤は、呼吸状態が悪い場合、あるいは悪化が予想されるような場合に使用するのだろう。

私が昨夜、予防薬として飲んだダイアモックスは恐らく日本ではあまり必要なく、5000m級を超える山々で必要となるのではないだろうか、などと考えているうちに、シナノキンバイ、ハクサンイチゲ、ミヤマオダマキなどお花畑に迎えられながら、青空いっぱいの槍ヶ岳山荘に到着しました。(翌々日、私が始めて体験した高山性頭痛は、【私の高山性頭痛】で紹介しています)


横尾山荘


槍ヶ岳山荘直下のハクサンイチゲ(白い花)とシナノキンバイ(後方の黄色い花)

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CGRP受容体拮抗薬
2010/04/01

片頭痛の治療はトリプタン製剤の出現により大きく変わりました。しかし、トリプタン製剤は、狭心症や心筋梗塞の既往のある患者様に禁忌とされています。また、トリプタン製剤が効果ない患者様もいます。このような場合にも、安心して使用できる薬剤の開発が望まれています。その一つが、CGRP受容体拮抗薬で、現在、欧米で開発中です。
片頭痛の出現には、CGRPが重要な働きをしているといわれています。その働きには、次に示すように二つに大別されます。

  1. 三叉神経終末からCGRPが放出され、血漿タンパクが漏出し神経性炎症を惹起し、
    血管拡張を引き起こすといわれています。(青で囲んだ部分)
  2. 中枢神経系において、痛みの伝導に重要な役割を果たすと考えられています。
    (赤で囲んだ部分)

CGRP受容体拮抗薬は、これらの働きを阻害し、片頭痛を抑えると考えられ、特に中枢神経系に働くと考えられています。現時点では、虚血性心疾患を合併した片頭痛の患者様にも使用可能と考えられています。

現在、世界で開発中の代表的なCGRP受容体拮抗薬には、オルケゲパントとテルカゲパントがあります。オルケゲパントは注射薬で、テルカゲパントは内服薬です。テルカゲパント300mg製剤は、ゾルミトリプタン5mgと同様の効果があると考えられています。
→【虚血性心疾患をもった患者様の片頭痛について】

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椎骨動脈解離の治療
2010/06/01

椎骨動脈解離の治療は、現在のような血管内治療が進歩する以前は、直達手術が行われていました。解離部の直前で閉塞する近位部閉塞や、解離の前後で離断する手術が行われていました。

現在では多くの施設が血管内治療によるコイルを用いた塞栓術を行っています。

私が脳神経外科医師となった昭和60年頃は、比較的稀な疾患と考えられおり、診断すら困難でした。私が経験した第一例目は、近位部閉塞術を行い経過良好でした。文献で解離部の色がブラックパープルを呈するとありましたが、読んでピンときませんでしたが、手術でみてなるほどと感心しました。近位部閉塞には欠点があり現在はほとんど行われていません。さて現在は、治療の主流はコイル塞栓術ですが、医学の進歩により、これから10年後にはどのように治療方法が変わっているでしょうか。

→【椎骨動脈解離】

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若い人でも慢性硬膜下血腫は生じる?
2010/06/01

慢性硬膜下血腫の手術は、多くの脳神経外科医師が執刀医となる最初の手術だと思います。比較的容易に診断できて、手術も脳神経外科の手術で最も安全にしかも短時間でできるものです。入院期間も一週間程度ですみます。

慢性硬膜下血腫は、私が脳神経外科医師になって最初の研究テーマでした。当時約270例のデータベースを作成し、慢性硬膜下血腫の病態を稀な病態も含めて、ほとんど全て網羅していました。

慢性硬膜下血腫は高齢の人に生じやすい病態です。脳と頭蓋骨の間には硬膜という硬い膜があります。高齢になって脳が萎縮すると、脳と硬膜の間に隙間ができて、外傷などを契機として、脳と硬膜の間の隙間(硬膜下腔)に血液がたまり、慢性硬膜下血腫を形成することがあります。

では、若い人では、慢性硬膜下血腫は起きないのでしょうか。40代以下の人にも生じます。私の経験では17歳の人にもおきました。40代以下の慢性硬膜下血腫の患者様には注意が必要です。思わぬ基礎疾患が潜んでいる危険性があるからです。出血性疾患の合併の危険性も考えられます。慢性硬膜下血腫の形成には、脳と硬膜の間に隙間が生じる疾患、つまり 1)くも膜嚢胞(のう胞)や 2)特発性低髄液圧症候群などを合併している危険性があります。

→【慢性硬膜下血腫と頭痛】

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アイスクリーム頭痛
2010/07/01

アイスクリーム頭痛と呼ばれる頭痛があります。これは、多くの人が経験したことがあると思います。アイスクリームなどの冷たいものを食べると、眼の奥やのどの奥から後頚部にかけて痛くなる頭痛です。そう、キーンとした痛みです。これはすぐに痛まなくなってしまうので病的ではありません。

今年は梅雨に入るのが遅かったようです、6月になっても比較的からりとした暑さです。

アイスクリーム頭痛について考えたいと思います。まず、実感するために、週末に烏帽子岳と弓張岳を登り、たっぷりと汗を流した後に、玉屋屋上の生ビールと、近くのスタバでダークモカ&オレンジフラペチーノで試してみました。

烏帽子岳を降り、夕刻より玉屋ビアガーデンに行ってみました。夕日に弓張岳が映え、風も心地よく、一杯、グイッと飲み干しました。キターッ、咽喉の奥、後頚部にキーンとした痛み、でも一瞬でした。頚を抑えるでもなく、気になるような強い痛みでもなく、でも一瞬でしたが、後頚部に痛みが走りました。もう一杯実験してみましたが、再現性はありませんでした。最初の一杯だけだったようです。

次は、弓張岳を縦走し(縦走路は下の図をご参照ください)、スタバに入り、ダークモカ&オレンジフラペチーノを頼みました。甘そうですが、縦走に耐えた体に糖分を与えるため、一口食べてみました。激しい痛みが来ました。今度は、後頚部部ではありません、両目の奥です。キーンと刺すような激しい痛みです、それも一瞬ではありません、指で眼を押さえて耐えているうちにジワーッと痛みはひいてきました。この痛みは、もう一口食べても、ありましたが、最初ほど激烈ではありません。


鵜渡越より弓張山系に入り、弓張岳、但馬岳、遠藤但馬守の碑、将冠岳、八天岳を縦走し、
横尾を経て島地町に戻りました(烏帽子岳中腹からの弓張山系)。

これらの頭痛は、現行の国際頭痛分類第二版(ICHD Ⅱ)では、その他の頭痛の【13.11.2冷たいものの摂取または冷気吸息による頭痛】と分類されています。原因は、明確ではありません。1)咽頭部付近の冷たい刺激を、冷たい感覚を痛いと間違って、咽頭部付近の場所をこめかみ、眼の奥、後頚部と間違って伝えるという考え方、2)冷たい刺激に対して体温を維持するために血管が拡張し、その結果頭痛が生じるという考え方があげられています。あまりピンときません。片頭痛患者の場合は、通常片頭痛の起こる部位に生じやすいなどの関連論文も散見されます。痛みは一瞬ですし、夏の楽しみ、そのような論文も見過ごしていいのではないでしょうか。次回は、鹿児島天文館の白熊で厳しい冷えた頭痛を味わってみたいと思います。

→【冷たいものの摂取または冷気吸息による頭痛】へ

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曹操と頭痛
2010/08/01

私は、学生時代に柔道をやりました。当時、夕方の練習の前に、吉川英治の三国志を読み耽っていました。魏の曹操、呉の孫権、蜀の劉備らの群雄の物語で、最近は映画でレッドクリフがヒットしました。いくさの大胆な勝ち方や逆に信じられないほどの負けっぷりから曹操の物語としてとらえている人もいます。吉川英治の三国志は、もちろん小説です。その中で、曹操は晩年、頭痛・嘔気に悩まされ、医師の華陀によって脳袋の腫瘍と診断され、手術をすすめられています。CTもMRも手術用の顕微鏡もない時代に、華陀はどのような手術を考えたのでしょうか。結局、小説では曹操が、華陀の手術の話に激怒し、手術は行われませんでした。


 青森ねぶた祭り 曹操と周瑜

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ニトログリセリンと頭痛
2010/11/01

私の趣味は山歩きですが、今年はザイデングラードと黒戸尾根を歩きました。歩きながら頭痛のことを考えることがあります。随分昔の話ですが、医師になって三年目の頃、叔父から頭痛がすると電話がありました。よく聞いてみると、循環器内科の医師から狭心症と診断され、ニトログリセリンが処方されたようです。ニトログリセリンの副作用に頭痛があります。山道を歩きながら、そんなことを思い出していました。(写真は、雨の黒戸尾根9合目です。)

ニトログリセリンは、血管平滑筋細胞の一酸化窒素(NO)を介し、cGMPを生成し、細胞内カルシウムイオンを減少させて、血管平滑筋を弛緩させます。難しい話ですが、”ニトログリセリンは、何かしらの物質(NO)を介して心臓の血管を拡げて心臓をよくする薬剤”ということです。

ニトログリセリンは、興味深い薬剤です。1846年にイタリア人のAscanio Sobreroによって生成されました。彼は、この物質は舐めると少し甘くて、すぐに頭痛を起こすということを当時、既に記載しています。さらにこの物質は、爆発しやすく爆薬にするには危険と考えました。その後、ノーベル(Alfred Nobel)が創意工夫し、この物質を爆薬【ダイナマイト】として開発しています。彼は、ダイナマイトで、巨富を得ましたが、産業ばかりでなく軍事にも使用されたため死の商人と呼ばれ、辛い人生を送ったようです。彼は、その莫大な遺産をノーベル賞設立にあて、人類の平和と進歩に多大な貢献をしています。一方で、ノーベルは、狭心症を患い、虚血性心疾患の薬剤として開発されたニトログリセリンに助けられたとの話も伝えられています。

さて、ニトログリセリンの頭痛の話にもどります。2009年にPeer C. Tfelt-Hansenらが発表した論文【Nirtoglycerin Headache and Nitroglycerin-Induced Primary Headaches】を元にニトログリセリンの頭痛について考えたいと思います。

ダイナマイトを使う労働者たちが、休みの翌日、つまり、月曜日になるときまって頭痛を訴えていました。労働を続けていると頭痛はなくなり、決まって休み明けの月曜日の仕事で頭痛がするのです、これはMonday headacheと呼ばれました。今では、このことは、月曜日に仕事を始めて、ダイナマイトからニトログリセリンを吸収し頭痛がするようになり、時間とともに耐性(慣れ)が生じ、痛まなくなるという具合に理解されます。現在の臨床の場では、「狭心症のためニトログリセリン(類似薬剤)を用いると当初は頭痛がすることがありますが、数日間続けていくうちにあまりしなくなります」と、説明されます。・・・・ニトログリセリンによる頭痛は、ただ、それだけでしょうか。

ダイナマイトを使う労働者たちは、休日にも極めて少量のダイナマイトを皮膚に塗るという工夫により、耐性(慣れ)を継続させ、Monday headacheから開放されました。しかし、2-3%の労働者は頭痛から解放されることなく、転職を余儀なくされています。このことは、ニトログリセリンによる頭痛が、単一ではなく、他の頭痛が潜んでいる可能性を示唆しています。

Peer C. Tfelt-Hansenらの論文では、ニトログリセリン頭痛とニトログリセリンによってひきおこされる頭痛に分けてあります。ニトログリセリン頭痛は、多くの労働者たちが経験した頭痛です。ニトログリセリンを吸収し、心臓の血管が拡張するように、脳や頭蓋外の血管も拡張し、そのために頭痛が惹起されます。ニトログリセリン舌下後、数分程度で出現し、比較的短時間で消失するものです。一方、ニトログリセリンによってひきおこされる頭痛は、ニトログリセリン頭痛とは異なり、ニトログリセリン舌下後、1~数時間してから出現し、持続時間も長いという特徴があります。このタイプの頭痛は、ニトログリセリンにより、片頭痛や群発頭痛、緊張性頭痛が惹起されるものと考えられています。Petersらは片頭痛の患者にニトログリセリンを投与し71%に片頭痛が惹起されたと報告しています。ニトログリセリンで誘発される片頭痛の研究はすすみ、血管拡張とはあまり関係なく、NO-cGMPを介したもの、脳幹への刺激などが考えられています。ダイナマイトを使う労働者を頭痛で苦しめ、虚血性心疾患の患者を頭痛という副作用で苦しめたニトログリセリンは、現代の頭痛研究において重要な位置を占め、新たな治療薬の開発などにも繋がっています。

→【一酸化窒素(NO)供与体誘発頭痛】へ

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CSD
2011/01/01

最近、世間では、AKB48がはやっています。CSDもアルファベット三文字でそのような仲間かと思いますが、全く関係ありません。私はAKBが女の子のグループとは知っていますが、各々の名前は知りませんし、残念ながら顔の区別も全くつきません。
CSDは、cortical spreading depressionの略です。私は昭和60年に脳神経外科教室に入局しました。もう四分の一世紀も前のことです。当時の大学の脳神経外科教室には、生理グループ、神経化学グループ、脳虚血グループの三つの研究グループがあり、私は二番目の神経化学グループに入り研究しました。生理グループではCSDも研究していたようです。神経化学グループではエンドセリン(ET)とか心房性Naポリペプチド(ANP)などの受容体を研究し、私は脈絡叢におけるエンドセリン受容体について実験研究をしました。そういうわけで、私は、CSDには馴染みはなく、むしろ敬遠していました。
片頭痛の患者様を診察しますと前兆(視覚の異常)を訴える患者様が多くいます。CSDはこれらの前兆に深く関係があるといわれています。現在は、CSDの論文も読んでいます。いくつかの論文を読んでいると、”History of migraine with aura and cortical spreading depression from 1941 and onwards”(Cepharalgia 30:780-792, 2010)という論文がPC Tfelt-Hansenにより発表されました。これは、前兆のある片頭痛とCSDについて、1941年から現在までの論文を紐といて解説しています。この論文を柱に、必要があれば元の論文にもどって、自分の感想を追加しながらCSDと片頭痛について考えたいと思います。
必要文献を下の表に列記します。(8)がPC Tfelt-Hansenの文献で(1)から(7)は時代順に並べています。

Cortical spreading depression は皮質拡延性抑制と訳されています。日本語では何を表しているのかわかりません。皮質、これは脳表面のことで、拡延性は文字通り拡がっていくということです。何が拡がるかというと、【抑制】がです。つまり、【抑制が脳表面を拡がっていく】ということでしょうか。

番号 論文
(1) Lashley KS. Patterns of cerebral integration induced by scotoma of migraine.
Arch Neurol Psychiatry 1941;42:259-264
(2) Leao AAP. Spreading depression of activity in the cerebral cortex.
J Neurophysiol 1944;7:359-360
(3) Olesen J. Focal heperemia followed by spreading oligemia
and impaired activation of rCBF in classic maigraine.
Ann Neurol 1981;9: 344-352
(4) Lauritzen M. Persistent oligemaiof rat cerebral cortex in the wake of spreading depression.
Ann Neurol 1982; 12: 469-474
(5) Olesen J. Timing and topography of cerebral blood flow, aura,
and headache during maigraine attacks. Ann Neurol 1990; 28: 791-798
(6) Lauritzen M. Cortical spreading depression in maigraine.
Cepharalgia 2001; 21: 757-760
(7) Hadjikahani N. Mechanisms of migraine aura revealed by functional MRI
in human visual cortex. PNAS 2001; 10:4687-4692
(8) History of migraine with aura and cortical spreading depression
from 1941 and onwards

(1)1941年、Lashleyの論文から。
Lashleyは、視覚生理学者だそうです。彼が、自分の前兆のある片頭痛発作の閃輝暗点を鉛筆で克明に記録し、後頭葉(視覚野)にその原因があるのではないかと考えました。その図を示します。×印は固視点(固定点?)です。線状の印(彼の表現では要塞のようなという表現です)は閃輝を示し、点線の内部は暗点を示します。(閃輝は刺激状態を示し、暗点は抑制状態を示していると考えられています)。閃輝暗点が、中心から外側(側頭)の方向に拡がって行きます。それは両目の視野の一側に生じました。眼の問題であれば両目に出ることは少ないでしょうし、視野の一側に異常が出現することは、大脳の後頭葉の病変を示唆しています。
彼は、論文のまとめで、「前兆を伴う片頭痛で生じる閃輝暗点を短い間隔で記録し、後頭葉(視覚野)で1分間に3mmのスピードで興奮の波として拡がり、引き続き抑制の波が後頭葉(視覚野)を拡がっていき、同様に回復していく」と述べています。

この図からは、視野の異常は右なので、病変は左の後頭葉だと考えられます。


(2)CSDは、1944年にLeaoらによって発表されました。
Leaoらは、実験的けいれんの研究を行なっていました。脳表で、てんかん波(とがった波)を引き起こし、これが拡がっていくことを研究課題としました。この目的のために、麻酔をかけたウサギで、頭を開いて脳表を電気刺激し、脳表の6箇所の電極でその刺激の反応を拾うという実験です。てんかん波の拡がりを期待していたのですが、実際には、てんかん波は現れず、脳波は平坦となり、これは時間とともに脳表全体に拡がり、そしてその順番で回復していくという現象が現れました。この研究をもとに、その後、様々な分野でCSDが研究されています。

【(1)と(2)の論文の小括】Lashleyが1941年に自分の前兆のある片頭痛で、閃輝暗点を詳細に記載したこと(1)、Leaoらが、ウサギでCSDを示したこと(2)が、黎明期といえます。その後、1958年にMilnerが、この二つの事象を取り上げ、これら二つの事象が本当に関係しているのであれば、この事は片頭痛治療の改善に結びつくであろうと提唱しています。しかし、半世紀が過ぎた現在でもこのことは解明されていません。なにより、片頭痛の患者で実際にCSDが証明された報告はありません。

次に1967年頃より脳血流量測定が可能となり、片頭痛とCSDの研究が進みました。1981年のOlesenらの研究と1982年のLauritzenらの研究が有名です。Olesenは片頭痛の患者の脳血流量を測定し、Lauritzenは、ラットでCSDをつくり、脳血流量測定を行っています。当時、片頭痛の機序として、血管説(血管が縮み脳虚血を引き起こすために前兆が生じ、その後、血管が拡がり頭痛が生じるという考え方)が優勢でしたが、この事に一石を投じることになりました。


(3)1981年にOlesenは、6人の前兆を伴う片頭痛患者について、脳血流量を測定して報告をしています。
発作は局所の血流増加(hyperemia)から始まり、前兆期に脳血流量低下(oligemia)を認めています。この脳血流量低下は後頭葉から始まり15-45分で前方に拡がりました。そして頭痛は、既に脳血流量低下の時期に出現していることを明らかにしました。この事実から、Olesenらは大胆に片頭痛の血管説(血管が縮み脳虚血を引き起こすために前兆が生じ、その後、血管が拡がり頭痛が生じるという考え方)はあまりにも単純すぎると述べています。彼らは、神経機能の変化が前兆のある片頭痛発作に結びつくのではないかと考えました。

読後の感想:彼らは、1976-79年の4年間にいろいろな疾患の患者250例の脳血流量を測定しています(250例中14例が前兆のある片頭痛の患者です)。250例中、8例で脳血流量測定が低下しており、そのうち6例が、検査中に前兆のある頭痛を起こしたのです。片頭痛患者を集めて前向きに脳血流量測定をしたわけではないようです。脳血流量測定方法も現在の方法と異なり、頚動脈を直接穿刺し、そこから薬剤を注入して測定する方法です。現在では行なわれていない方法です。脳血管撮影で前兆のある片頭痛が誘発されるとは信じてもらえないのではないでしょうか、どうでしょう。1983年にLauritenらも同じ方法で、前兆のある片頭痛の脳血流測定を発表しており、そういうこともあるのかもしれません。


(4)1982年にLauritzenは、ラットで脳表にカリウムを滴下しCSDを生じさせ、その後、オートラジオグラフィー方法で経時的に脳血流量を測定しています。CSDが生じた後、瞬間的に脳血流量が増加し、その後に脳血流量が低下し持続しています。つまり、CSDが、脳血流量低下を起こすことを証明しました。

OlesenやLauritzenは、その後も多年にわたり片頭痛とCSDと脳血流量測定の研究を行なっています。


(5)Olesenの1990年の論文
Olesenのその後の研究のうち、1990年の論文を紹介します。(3)の論文の十年後です。この論文で、(3)の論文の考えが具現化されています。脳血流量測定の方法は、頚動脈穿刺による方法と現在行なわれているSPECTによる方法です。前者が計20例で、後者は43例です。後者は、前兆のある頭痛の誘発ができませんので、発作が起きたらできるだけ早くタクシーで通院してもらい検査するという方法です。
結果は図が全てを物語っています。この図は有名で、あたかも、片頭痛の脳血流量変化と誤解されていますが、この図はあくまで脳血管撮影で誘発された前兆のある片頭痛の患者の脳血流量変化のシェーマと考えるべきです。 大脳半球の後ろのほうで脳血流量が低下し、その後に前兆が出現します。頭痛は脳血流量低下の時期に出現します。脳血流量は増加していきますが、頭痛の性状はあまり変化しないということです。


(6)Lauritzenは、1982年の発表以降、いろいろな論文を発表し、20年後の2001年に集大成というべき論文を発表しています。その中で有名なCSDによる片頭痛の発生仮説の図も、記載されているので、簡単に紹介します。この3個の模式図は、CSDの発作後の経時的変化をあらわしています。大まかには30分間隔でしょうか。

  1. 後頭葉でCSDが生じると、これは、脳の外側、内側、腹側を前方へ拡がって行きます。
  2. CSDに続き、後頭葉での脳血流減少が生じます。この減少の程度は20-30%で2-6時間継続します。この程度の脳血流減少では脳虚血は生じません。
  3. CSDが関わっていない領域では、脳血流に変化は見られません。
  4. CSDが前方に拡がっていき、それに伴い、脳血流の低下した領域は拡大していきます。
  5. CSDが中心後野の感覚野に達すると、感覚に関わる症状が出現します。
  6. CSDは、通常は中心溝に到達すると停止します。多くの場合、これ以上は拡がりません。腹側に拡がったCSDは痛覚-感受性線維を活性化させ頭痛を惹起します
  7. CSDは停止し、脳血流の低下が継続します。この時期には、眼の症状や感覚の症状はなく、頭痛が主症状となります。

OlesenやLaurizenらの報告のあとは、MRIやPETによる検査でのCSDの解明が行なわれています。
現在では、MRI検査により、片頭痛の前兆と大脳皮質との活動性を報告がされています。


(7)Hadjikhniらは、fMRIを用いて前兆を伴った片頭痛の機序について報告しています。
Blood oxygenation level-dependent(BOLD)の信号を用いています。3人の患者で計5回の発作を調べています。一人は、バスケットボールなどの運動で発作が起こることがわかっていたので、片頭痛に伴う前兆の前、前兆の時期、そして頭痛の時期について経時的に調べることが可能でした。片頭痛のない時は、BOLD信号は左右対称で、正常の反応を示しています。左視野に起きた閃輝暗点をしめす前兆の発作時には、右後頭葉でBOLD信号は一過性に上昇し、その後に減少します。上昇はscintillationsの時期に一致すると考えられ、減少は暗点の時期に一致するものと考えられます。その後、徐々に回復していきます(1-B、2-B)。その他の二名は、MRI施設内で働いていたので、比較的はやく検査ができたようです。しかし、前兆の起こる前からの検査はできず、前兆が起きてからの検査となります(2-C)。

図1(バスケットボールで片頭痛発作を起こす患者のデータで、片頭痛発作前から検査が可能。B:左視野に起きた閃輝暗点を示す前兆の発作時に、右後頭葉でBOLD信号は一過性に上昇し、その後に減少しています。C:発作時には左後頭葉では変化なし。D&E:非発作時には変化なし。)

図2(Bは、図1に同じ。Cは、他の二人のうちの一人のデータ。前兆が起きてからのデータで、Bの発作の後半部分に類似しています。DはBのデータと、Lauritzenのラットの実験データと強引に合成して、時間経過がCSDに一致すると述べたものです。)

図3(図1の患者。発作前から測定が可能。(A:この患者が書いた前兆の絵。視野の異常は左側視野に生じ広がっています。C:円は、この患者の左側の視野を示しています。この色に対応したこの患者の後頭葉で視覚野。B:これらの反応は、後頭葉のV3a領域から始まり、3.5mm/分で広がっていくことを示しました。)

感想:これは、脳血管撮影で前兆のある片頭痛を起こしたOlesenらの実験結果とは段違いに信頼性が高いと思います。この報告は、2001年のものです。閃輝暗点を示す視覚性の前兆は、CSDと深い関係があると考えられていますが、現在も解明が進んでいます。しかし、未だにわからないことのほうが圧倒的に多いと思います。

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私の軽症頭部外傷による急性外傷後頭痛
2011/04/01

冬の健康管理のため、月に一度、佐賀県有田町の黒髪山登山を行なっています。コースは竜門―見返り峠―黒髪山(天童岩)-見返り峠―青螺山―青牧峠―竜門の周遊コースです。体調がよければ2時間半、色々な状況が重なると4時間位の比較的ハードなコースです。竜門から黒髪山は小川のせせらぎを聞きながらハイキング気分ですが、青螺山は坂がきつく、岩場やロープの難所があり、よい登山訓練となります。2011年1月30日は、前半の黒髪山は特に問題なかったのですが、後半の青螺山は突如雪山と化しスリリングな山行が楽しめました。


雪の青螺山

私が転倒したのは、この時ではなく、12月のまだ雪の降っていない雨の降った翌日の青螺山でした。皮の剥げた木の根は雨で濡れ滑りやすくなっていて、約50cmの段差を一気に登ろうとして、滑ったと思った瞬間に、右前額部を強打していました。痛みの程度は、これまでに経験したことのない最も激しい痛みでしたので、VAS(visual analog sacale)では10点中10点です。意味があるかどうかわかりませんが、意識レベルのチェックを自分で行い、7シリーズ(100-7からはじめる引き算)を行いながら登山を続けました。痛みに耐えながら無事に下山しました。その後の1週間は、ロキソニン(鎮痛剤)が必要な程度の頭痛がズキンズキンと続きました。診断は軽症頭部外傷による急性外傷後頭痛です。周囲の人は、私の鼻のところが赤いのは飲みすぎ?と思われたようです。


受傷3日目 右眉根部の受傷部位

→【急性外傷後頭痛】

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外的寒冷刺激による頭痛 ~ 一の倉沢
2011/10/01

妙高山を降り黄金の湯で朝の登山の汗を流し、関山駅より直江津を経て土合駅には、お昼過ぎに着きました。早く着いてしまい、【山の家】の女将さんにすすめられて、一の倉沢まで散策に行ってみました。

一ノ倉沢に着き、その前に立つと、荘厳な切り立った岩と雪渓に圧倒され身も心も研ぎ澄まされる思いでした。沢に降りると、「お兄さん?少し頭を冷やしたら」という自然の声がして、いつもなら手を洗ったり、顔を洗ったりするのですが、どぶんと頭から流れに突っ込みました。何とも言えない強烈な冷たさ、一の倉沢の雪渓の水はなんと心地よい。でも、冷た過ぎて何秒もつけていられません。頭が痛いような感じ。この痛みは、国際頭痛分類第2版によると外的寒冷刺激による頭痛(13.11.1)に相当します。翌日はロープウエイを利用して盛夏・谷川岳を歩きました。


一ノ倉沢

頭を冷やした沢

→【外的寒冷刺激による頭痛】

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緊張型頭痛?
2011/10/01

冷たい雨の中、朝五時に間ノ岳に向け北岳山荘を出発、ふと山荘の壁紙が目に留まりました。一般的な高山病の予防についてです。少し離れたところに、(重たいザックを背負って、肩の筋肉に緊張が加わり、頭痛をきたすことがある)旨が書かれていました。ひょっとして緊張型頭痛?と一瞬、頭をよぎりましたが、風雨の3000m高地歩行に集中しました。天気が悪く、残念ながら間ノ岳まで登って引き返しました。下山後、広河原から甲府までのバスの中で、北岳・間ノ岳の余韻に浸りながら、思考を再開しました。

緊張型頭痛は一次性頭痛なので原因がないのが一般的です。しかし、現実的には、頸椎疾患・筋の緊張を原因とするもの、いろいろなストレスを原因とするもの、片頭痛から移行するものなど様々な病態を抱えているのではないでしょうか。

壁紙にあったような、重いザックを背負って登山という運動は、僧帽筋を中心とした後頚筋群の緊張を引き起こし緊張型頭痛が生じるのか、そんなことを考えながら、甲府→新宿の特急【かいじ】に飛び乗り、ボーっと思索を続けました。九重山系で登山を始め、北海道に渡り大雪山系を登った時に、ザックの重さが15㎏で、下山後に疲労を感じ、ザック分の15㎏痩せていたらもっと楽に違いないと反省しました。そうすると気づいた頃には20㎏痩せていました。 痩せた頃から、後頚部を中心とした重たいような筋の緊張を感じるようになり、年もとってきたから、いろいろなストレスも加わり、緊張型頭痛になっているのかなと考えていました。モーラステープを貼ったり、試しにロキソニンやセレコックスやモービックを飲んだり、その効果も調べました。特急【かいじ】の中で、痩せたころより後頚部を中心とした緊張型頭痛が始まったという思考を一歩進めてみました。笑われるかもしれませんが、痩せたことが原因なのだと考えてみました。大学時代に柔道で鍛えた(太った?)首回りは、当時は44㎝で、痩せてみると37㎝になっていました。ウエストが7㎝も細くなると嬉しいものですが、首回りです。筋肉も痩せ細ったのだと思います。頭が軽くなっても、頭を支えるために、痩せたことで一つ一つの筋肉細胞の頑張りが必要になったのだろう、その結果、緊張型頭痛を惹起した。横になって、頭を支える必要がなくなると楽になるのだなあ、などと考えているうちに列車は新宿に到着、雑踏の中で思考も停止しました。北岳―間ノ岳―塩見岳―蝙蝠岳の南アルプス縦走計画は、悪天候に阻まれ、緊張型頭痛?について考えてみました。

北岳&間ノ岳:ガスがかかり、全くなにも見えません。間ノ岳では視界は数メートル、誰もいません。

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